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| ●2008年4月 カッパドキア、パムッカレ、トロイ、イスタンブール : トルコ | |
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4月26日〜5月3日 【地図】 【旅行日程】 引退後のゆっくり滞在型で回りたいトルコ!。西から東と魅力いっぱいだが、今回は本命が催行無しとなり急遽空いている席に入り込んだ。やっぱり、急ぎ足はもったいないところだ。時期的には雨も少しある等どうかとおもったが、ヨーロッッパに近くハイシーズンだと騒々しいだけだ。いくならオフシーズンがいい!。イスタンブールは別にここでけ滞在もいい。 |
| 昼頃、成田発。夕刻、黒海上空を過ぎイスタンブール。すぐに国内線でアンカラへ移動する。 23時頃アンカラのエセンボア空港到着。ホテルはまあまあ。明日はゆっくり出発のため寝る時間はたっぷり。今回は移動もあるがさほど急ぎ足でもなくのんびりできそうだ。時差は6時間。さほどつらくはない。 |
![]() 黒海上空へ |
![]() トルコ本土へ |
| 4月26日 アンカラ | |||
| 9時頃、ホテルを出てトルコ建国の父アタチュルク廟に向かう。
アンカラは、最初ヒッタイト人が作った町だ。 |
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![]() ホテル |
![]() ホテル前 |
丘の上に廟がある。みはらしもいい。それにかなり広い!。小学生の修学旅行のごとく地方から来た子らや、地元の子供もいる。こちらも観光で子供の写真を撮るが、向こうも携帯電話のカメラでこちらを撮る。中には記念写真をせがむ子も。廟内はけっこうにぎわっている。女性と子供は衛兵さんと記念写真に夢中だ。 | |
| 廟内の奥に柩があるが、これはモニュメント。ほんとうの墓はこの地下にある。廟の周りの回廊を通って地下まで行ける。トルコの歴史を見て回る事になる。 | |||
| 4月26日 アンカラ市内で昼食 | |||||
| 11時頃、少し街外れの丘の上にあるレストランに向かう。道が狭い!。あまり人通りがない。それでも道路脇にお菓子を売っている人がいる。 | ![]() そこかしこにある売り場 |
![]() 道ばたのお菓子売り場 |
![]() レストラン |
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丘の上からアンカラが見渡せる。小さな穀物売り場や建材屋がある少し寂れたところだ。ここで景色を眺めながら食事。名物料理のギョズメレを食べた。クレープのようだが、たくさん食べたい、というものでもない。 |
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![]() レンズ豆のスープ |
![]() 野菜 |
![]() ギョズメレ |
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| 4月26日 トゥズ湖 | |
| 昼食後、カッパドキアを目指してひたすら走る。曇ったり晴れたりのはっきりしない天気だ。途中、トゥズ湖、塩湖、のドライブインで休憩。ここは遠浅になっていて沖の方まで歩いていける道がある。少し晴れて来た。見渡す限り真っ白な景色は予想していなかった。ここの土産物屋でトルコのお守り目玉と塩を買った。 |
| 4月27日 カッパドキア:ローズバレー | ||
| ホテル前で朝の散歩。あまりショッピングができるところはない。洞窟ホテルに泊まった人を迎えて朝のうちにローズバレーに向かう。ほんとうは夕方のいいと思ったがツアーではゆうずうはきかない。ホテルから30分ほどで到着。ちょっとした公園&トレッキングコースになっていて、観光客だけでなく地元の人も休日には遊びに来ているようだ。岩肌は肌色から黄色、確かに夕焼けならさぞきれいだろう。尖った岩の合間に民家と畑が見える。ここの洞窟住居に実際に済んでいる人がいる。ちょっとうらやましいかも。 | ||
| 4月27日 カッパドキア:ギョレメ野外博物館 | ||
| 30分ほどでギョレメや該博物館に到着。もう海外の観光客で少しにぎわいかけている。ここはキリスト教徒が暮らしていた場所がそのまま博物館になっている。リンゴの教会、蛇の教会、瞑想の部屋?、食堂?、暗闇の教会、トカレの教会がある。教会の壁画はかなりきれいだ。発見されるまでは砂に埋もれていたため保存状態がいいらしい。 暗闇の教会は個人所有らしく別料金が必要だ。内部の壁画は、前の教会のよりすばらしい絵だ。保存状態もそうとういい!。是非、見ておくべきだ。一旦外に出て、トカレの教会も覗く。こちらは青が多い。 一通り教会を見て回った後、土産物屋を見て回る。これといって記念になるような土産はなし。いつも記念にご当地Tシャツを買うのだがいいのがない!。土産物屋通りの端の両側にトルコ名物の伸びるアイスクリーム屋がもちのようなアイスクリーム、ヤギの乳で出来ているから粘りがあるらしい、の伸ばし演技で張り合っていた。 |
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4月27日 カッパドキア:パシャバのキノコ岩、ゼルベの谷 |
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| 30分ほど車で走るとキノコ岩がちらほら見えてくる。パシャパには11時頃到着。ここにカッパドキアを紹介するキノコ岩の写真のモデル?がある。キノコ岩の中に入れるものもある。地層の模様も楽しめる。キノコ岩の帽子は灰色で中身もそうかと思っていたが中は首?の部分と同じだ。風化の段階で灰色の火山灰か何かがこびりつきそこだけが残った感じだ。 少し奥に行くとゼルベの谷がある。昔キリスト教徒が済んでいた場所だ。洞窟住居や教会が谷の奥に続いている。谷は自然の壁で左右二つに分かれている。奥まで見るには少し時間が必要だ。 |
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| 昼食 | ||||
| トルコはなす料理が有名、ということでなす料理レストランで昼食。内部は真ん中に10mほどの円形の広間があって洞窟が放射状に5つ。1つは厨房につながっている。なすは大好きだ!。何種類かたのしめるかと思ったが1種類だけだったのは残念。 | ![]() なす料理レストラン |
![]() 内部は洞窟上 |
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![]() サラダ |
![]() スープ |
![]() 野菜の煮込みスープ |
![]() カリニヤルク |
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| 4月27日 アヴァノス陶芸工房 | |
| 昼食後、陶芸工房に向かう。あちこちに工房があり、通りを歩くだけでも玄関で自己主張していてけっこう楽しい。陶芸は大きく2種類で、古い時代のデザインのもの、これは赤茶色を基本としている、近代的なデザインのもの。訪問した工房は洞窟を利用した作りになっていた。玄関近くに喫茶店?らしきものがあった。 |
| 4月27日 カイマクル地下都市 | |
| カイマクル地下都市につく。巨大、というより細く長い洞窟住居だ。洞窟入り口までは土産物屋がある。内部は観光順路がきまっていて→に沿って進む。やはり狭い!。閉所恐怖症の人は入れないだろう。あちこち横穴や通路を塞ぐ大きな丸石(ころがして開け閉めする)、食料貯蔵庫やワイン工場?まである。どれくらい深く下りたのか全く分からなかった。 ここから外に出るとさすがに開放感!。入り口を少し右に向かうと地価都市の地表にでる。空気穴がむぞうさに放置されている。土産物はさほどめずらしいものなし。地下都市の地図でもあれば買うつもりだったが見つからなかった。 |
| 4月27日 岩の要塞ウチヒサール | |
| 岩の要塞ウチヒサールは遠くからでもそれとすぐ分かる。ぽつんと尖っている。というより大きな岩の固まりは1つで他は控えめ、といってもビルぐらいのもがいくつかあるが、にそびえている。どれも住居後がある。近くにはローズバレーにまけずおとらずきれいな谷がある。 この近くにカッパドキアを一望できる展望台がある。ここで伸びるアイスを食べながら景色を堪能できる。遠くローズバレーも見えている。 |
| 4月27日 カッパドキアのキノコの住居とラクダ岩 | |||
| ガイドさんの知人で近くにキノコ岩の住居に住んでいるお宅を訪ねる。途中、無人の住居とか小山を掘っただけの住居も見かける。キノコ岩の小道を進むと、キノコ岩に囲まれたお宅が見えて来た。目の前は畑!。住むには許可がいるようで、かつ、改造もままならないとか。でも老後にのんびりすごすにはいいかも。しばし中でくつろぐ。なんとちょっと前に日本のテレビ局が取材にきていたそうだ!。雰囲気のいいところなのでたぶん引っ張りだこなのだろう。奥さんが外まで見送ってくれた。途中、里帰りの若い女性とすれ違う。こんな故郷があるとはうらやましい。 この後急遽ラクダ岩に向かう。もう夕暮れ間近!。なんとか間に合う。ここもいい時間にくればいい景色が拝めただろう。 |
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| 4月28日 カッパドキアの朝、コンヤに向かう | ||
| 早朝、ホテル前を散歩。もう観光用の気球があがっている。風がない時はさぞかし気持ちいいだろう。たまに事故の噂も聞く。食事後、カッパドキアを後にする。途中、エルジェ山を見るため停まる。 少し休憩後、コンヤを目指す。途中、昔の隊商宿の遺跡をいくつか見かける。右側にはハサン山が草原にそびえ立つように見える。 |
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| 隊商宿の中でも軍隊がつめていたスルタンハーヌで一息つく。途中で見かけた隊商宿とは作りも大きさも違う。内部は宿と馬屋もある。内部と外回りとぐるっと回っても1時間はかからない。他にこれと行った気になるものはなし。 |
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| 4月28日 コンヤ〜パムッカレ |
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| コンヤは無形世界遺産メブラーナの舞が有名だが今回は霊廟のみ。まずは、インジェ・ミナーレ博物館を訪れる。ついで、メブラーナ霊廟を訪問。こちらは観光客以外に巡礼者が多い!。 昼食は大きなレストランにて。名物料理と言われるピデをいただく。ピザのトルコ版、丸い形でなく長方形だ。味はまあまあ、といっても大衆レストランではこんなものかも。それにしても落ち着かない昼食だった。 |
![]() レストラン |
![]() 昼食 名物料理 ピデ |
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昼食までは晴天だったが、だんだん曇り、ついには雨。途中、何カ所かドライブインによる。トルココーヒーなど味わって見る。ホジャというこちらの人気のお坊さん、日本でいう一休サン、の銅像、なんと後ろ向きにロバにのった銅像だ。大きな町に行けばホテルの土産としてホジャさんの語った寓話もある。いい記念になるかも!。 夕刻、パムッカレにつく。遠目に白い大地が見える。が、夕方。写真写りは今ひとつだ。今日はそのままホテルに入る。ホテルは少し遺跡からは遠く、夜歩いて夜景を楽しむのは無理だった。 |
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| 4月29日 パムッカレ、ヒエロポリス | |||
| 朝、雨はあがっていた。ホテル前に風景は日本の麦畑とさして変わらない。以外と寒い。そのせいなのかやたらネコが人なつこくまとわりつく。一旦、ホテルに入りウインドウチョッピング。大らかなのか、とてもイスラム圏とは思えない、ちょっとHな土産があった。 | ![]() ホテルの ちょっとHな土産 |
![]() ホテル玄関で・・・ |
![]() やたら人なつこいネコ |
朝食もそこそこに早速パムッカレに向かう。町を通り抜け、ちょっと大回りしながら高原に登るように向かう。麓の町に停まれば、歩いてパムッカレに入る事も出来る。バス利用はどうしても大回りだ。 パムッカレのゲートは案内所や土産物屋などかなり立派だ。それ以上に内部は広い!。とてもちょっと寄って観光というところではない。入り口を入ると、まずはあちこちに散在するローマ遺跡が見えてくる。まともな形を残しているのはローマ劇場ぐらい。 更に奥に進むと、白いテラスが見えてくる。すぐ真下は町。そこ町に宿をとれば昼間だけでなく夜景や月明かりのパムッカレが楽しめる。奥の方から水路に沿って歩いていく。皆素足で石灰の岩肌を楽しむ。水は温泉からの引き水で少し暖かい。今は昔ほど湯量が多くなく、実際には定期的に水を張るテラスを変えている。そのため、全面白く水が輝く景色は見られない。30分ほど歩く。時間があまりなく、裏の温泉遺跡には行けなかった。ここはもう一度、ゆっくり見て浸っておきたい遺跡だ。 |
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| 3時間ほどしてパムッカレを立つ。途中、ナージリーというドライブインで休憩する。ロクルムというトルコ名物が日本語で盛んに宣伝している。まあ、甘い飴かな。 4月29日 シリンジェ村 12時頃、エーゲ海で一番美しいと言われるシリンジェ村で昼食をとる。学校だったところをレストランに改造したところだ。奥で料理の準備が見れる。ここで、牛肉と野菜の煮込み料理ギュベチ と デュラム小麦のお菓子イルミックヘルクスをいただく。 |
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![]() ロクルム売り場 |
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![]() スープ |
![]() 野菜 |
![]() ギュベチ |
![]() イルミックヘルクス |
![]() やっぱりトルココーヒー |
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その後、少し村の中を散歩。のどかな町だ。観光客もまばら。時間があれば村を一周したかった。 |
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| 4月29日 聖母マリアの家 | |||||
| 30分ほど走り、向こうにエーゲ海が見えてくる。エフェソスに向かう前に近くの山に登る。そこに聖母マリアの家がある。途中の山腹からエフェソス方面を見るとローマ遺跡が見え隠れする。 聖母マリアの家はさほど観光客も多くなく静かだ。山頂の林の中にレンガ造りの小屋がある。審議のほどは諸説いろいろあるが、小屋の下部は間違いなくその当時のもの(イエスの時代)だとか。親切に日本語の説明板もある。 |
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| 4月29日 エフェソス | |||||
| 山から下りるとエフェソスの裏口に到着。上から見た遺跡はほんの一部で中は広い。ローマ劇場が2つもあり、どちらも現役、今もコンサート等で使われている。このエフェソスはあのクレオパトラの妹の落ち延びた都市。ここで暗殺されたらしい。じっくり見て回るには数時間かかる。かなり朽ちている遺跡もあるが彫刻がきれいに残っているところもある。メインストリートの脇の石に注意する。昔の娼婦の館の印がある。当時はすぐ目の前が港だった。 エフェソスの正門前は土産物が並んでいる。ここでオレンジジュースで一服。なんせ晴天で暑い。 |
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| 4月29日 アルテミス神殿跡、考古学博物館、イズミール | |||||
そのエフェソス正門のすぐ前にあるアルテミス神殿跡がある。”跡”がつくのは、柱一本と数個の土台が残るだけ。唯一残る柱はコウノトリに貸し出し中、つまり、巣、となっている。当時をしのばせる想像図の看板が目立つ。それ以外には遺跡前の露店の土産物ぐらい。女神像はわかるが、男性シンボルのでかい像は一体なんの意味が・・・ |
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| 4月30日 イズミール、ペルガモン王国遺跡 | ||||
| 朝、イズミールの港には軍艦が数隻停泊している。軍艦マニアにはうれしいかも。 数時間でペルガモン王国遺跡に到着。町を見下ろす小山にある、紀元前数世紀の遺跡だ。ローマ風なのはローマと交易があったののだろうか?。斜面の劇場は今でもコンサートで使われていて非常に眺めがいい。遺跡内は地元の人がスケッチなど楽しんでいた。 |
![]() イズミールの朝 |
![]() ペルガモン王国遺跡 |
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| 4月30日 医神アクスレピオン神殿 | ||||
| ベルガモン王国遺跡のすぐ近くに医神アクスレピオン神殿がある。実は行くまでこんな近くにあるとは気づかず、山頂からこの神殿の全景を見るチャンスを逸してしまった。神殿は結構広い。ちゃんとローマ劇場もある。ここはその名の通り医療施設でもあったところだ。当時最高の医術だったとか。精神病の治療もしていたらしくちょっと暗い地下通路を病人が歩くときに上の小窓から医師がささやいて暗示をあたえるかして治療していたとか・・・。天上が抜けたところもあるので落ちないように気をつける事。まわりは花畑ときれいな草原が広がる。 | ||||
| 4月30日 トロイ遺跡 | ||||
![]() 途中のリゾートビーチ 人っ子一人いない! |
トルコ西海岸を更に北上する。この辺りはシーズン中なら大にぎわいとなるリゾート地だ。 いよいよトロイ遺跡に到着。あまりに有名なのでもう少ししっかりした博物館があるかと思ったが割とこじんまりしたものだった。ただ、でんと置かれたトロイの木馬がなんかおもちゃのような気がしたのは私だけではないだろう。遺跡は観光遊歩道が整備されているのでそれに従って歩けばいい。ここに来て初めて知ったのだが、紀元前から町や城塞がなんども作られては消えを繰り返していたところ。もちろん、その中には地震によるものもあったろう。実は木馬はただ単にお話で、実際には地震で城壁が崩れ敵の侵入を許してしまったのは敗因だ。なにか記念に土産でも思ったがここはなぜかほとんど売り場がない!。 |
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| 4月30日 チャナッカレ、ダーダネルス海峡 | ||||
| まだ明るいうちにチャナッカレに到着。ホテルは街外れ、というより、ダーダネルス海峡にビーチを接する場所で、静かなところだ。すぐに海峡に出てみる。なるほど、狭い!。もう目の前はアジアという実感も湧く。シーズンではなく観光客は少ない。夕日までしばし散歩を楽しむ。 | ![]() ホテルの部屋より |
![]() ダーダネルス海峡の夕日 |
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夕食はホテルのレストランで海峡を眺めながら・・・ |
![]() ホテルレストラン |
![]() 地ビールエフェソス |
![]() 夕食 |
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| 5月1日 ダーダネルス海峡、アジア側からヨーロッパ側へ | |||||
| 朝、7時ホテルを出発。1時間ほどでダーダネルス海峡のアジア側の港、ラプセキ港に到着。まだ少し早くゲートでしばし待つ。出勤や登校で人がだんだん集まってくる。車ごと渡し船に乗り、甲板で下りて船の客席に登る。出航までの船内や選外の雑踏も楽しい!。ヨーロッパ側のゲリボル港までは30分ほど。ヨーロッパ側には要塞が見える。風もなく、海峡は遠目に霞がかかっている。海峡をするするっと渡リ終わる。 数時間、途中で休憩しながらイスタンブールに入る。イスタンブールに入るとそこかしこに遺跡が残る道路を走る。市内に入る前に昼食にシーフードレストラン街に入る。料理が出来るまで通りをしばし楽しむ。アイスクリームやのパフォーマンスや社会学習中の子供ら等見ていて楽しめる。昼食はまあ普通。これといって変わったものではなかった。 |
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![]() タラのスープ |
![]() エビと貝のマリネ |
![]() イカの天ぷら |
![]() スズキのグリル |
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| 5月1日 イスタンブール、アヤソフィア、グランドバザール | ||||
| いよいよイスタンブール市内観光。まずは、アヤソフィア、聖なる知恵という意味。ここはモザイク画が非常にきれいに残っている。昼間に入ったが丸一日いて光の変化を楽しみたいところだ。正面にはブルーモスクが見える。内部は修復作業も少しあり工事用の足場がちょっと残念だ!。 少しバスで移動し一度ホテルに入る。そそくさと荷物をほどいてすぐに歩いて近くにあるグランドバザールに向かう。帰り道を忘れないようランドマークを確認しながら進む。グランドバザールの中は、メインストーリと子路地がネットの世界のように広がっている。メインストリートは以外と人が少ない。観光客は子路地のほうで土産物を見て買って楽しんでいる。もっと時間があれば中にあった喫茶店でヒューマンウオッチングも楽しいだろう。 |
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5月1日 イスタンブール、アヤソフィアとブルーモスクの夜景 |
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| 暗くなる前にホテルに戻る。なかなかいいロケーションだ。最上階はレストランで、しかも、テラスからアヤソフィアやブルーモスク、ボスボラス海峡が一望できる!。夜はそれらがライトアップされ、飛び交う光る鳥がまた幻想的な感じだ。 | ||||
展望のいいホテル屋上のレストランで夕食。地ビール?もいただいた。まあ、メニューはこれといってと起筆すべきもの無し!。 昼間のバザールで買った焼きぐりが妙においしかった。 |
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| 5月2日 イスタンブールの朝 | ||
| 朝日を狙って早朝ホテル屋上にあがる。晴天、ボスボラス海峡は少しきりに覆われている。ブルーモスクもアヤソフィアも赤と黒のシルエットがきれいだ!。このホテルの立地条件はなかなかいい!。よくをいれば左となりのホテルがもっといいが・・・。 日が高くなりふと目を下にやると、なんと屋根の上はカモメの子育ての場所になっていた。 |
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| 5月2日 ブルーモスク、トプカプ宮殿 | ||
| 朝食後、ブルーモスクに歩いて向かう。途中、古代ローマ時代の闘技場の跡、ヒッポドロームには、テオドシウス1世のオベリスク、蛇の柱、コンスタンティヌス7世のオベリスクオベリスクがある。ここはその当時、戦車レースが行われていたかもしれにところだ。今は2本のオベリスクが立つのみだ。 ここから少し回り込んでブルーモスクに入る。そとも青いが中も青い。内部の広さは外の大きさそのもので、余計な柱も区切りもない!。反対側の外にでると正面には赤いアヤソフィアが面と向かって立っている。 アヤソフィアの横を通ってトプカプ宮殿に向かう。宮殿は2重になっていてかなりひろい。いい運動にもなるくらいだ。宮殿からのボスボラス海峡の眺めもなかなかいい。 |
宮殿内のレストランで昼食をとる。 |
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![]() トマトスープ |
![]() 香辛料 |
![]() 肉の煮込みにポテト |
![]() プリン |
| 5月2日 軍事博物館 | ||||
| トプカプ宮殿を後にして軍事博物館に向かう。館内は、ぐるりと一周する形でオスマントルコ時代の頃からの肖像画や遺物が並ぶ。古い兵器マニアにはうれしいところだろう。塩野さんのオスマントルコ時代の本、特に、コンスタンチノーブルの陥落など読んでから行くと展示物にももっと興味がわくはずだ。残念ながら私は逆になってしまい、今更に少し残念だ。 出入り口にはちょっとした土産物屋がある。ここで有名なトルコ行進曲のCDを買った。その後、外で軍楽隊による、オスマントルコ時代の服装での野外演奏がある。真ん中には大砲がでんとすわる。はじまるころには人が周りをぐるりと囲む。しばし待っていると博物館の脇から演奏しながら行進してくる。トルコ行進曲や、なんと日本の曲も演奏してくれる。トルコはなにかと親日派が多い。 |
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| 5月2日 ボスボラス海峡 | ||||
| 市内をバスで抜ける。が、混雑しているのでなかなか進まない!。市電?のほうが早いかも。 | ||||
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ちょっと遅めにボスボラス海峡クルーズの船着き場につく。小舟が露店代わりになっている。それを横目に我々のクルーズ船にたどり着く。結構大きな船、しかも、我々の貸し切り。1時間ほどのクルーズ。オスマントルコ時代の砲台や豪華な館もある。但豪華なのはしヨーロッパ側だけだが。海峡からはトプカプ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクもよく見える。 | |
| 5月2日 レストランで夕食とベリーダンス | ||||
| 夜、夕食のためレストランに行く。真ん中にはショーテーブルがある。始まる頃に、たぶんここのスターが客席に挨拶回りをする。その跡、民族舞踊から始まって、数名のベリーダンサーが出てくる。正直、こけテッシュな踊りで、腰の動きでまあベリーダンスかな、と思う。最後のスターが出てくるまではいなかった。やはり、本物のベリーダンスはちゃんとしたライブハウスに行ってみるべきだろう。ツサーの数名の方が事前に申し込んでいたらしく、そのときのビデオを少し見せてもらったが、セクシー+妖艶以上に、レストランのダンサーとはレベル差があきらか!。エジプトでも見たが、やはり今度イスタンブールに行ったら絶対にライブハウスで本物を見たい!。 | ||||
| 5月3日 イスタンブールの朝 | |||||
| 再び真っ赤な朝日を来して早起き。しかし、今日は今ひとつだった。朝食まで時間があるので、アヤソフィアやブルーモスクを見に行く。ほとんど人通りがない。噴水も停まっており、池にアヤソフィアやブルーモスクがきれいに写る。いつも表ばかりなので、ブルーモスクの周りをぐるりと回ってみる。再び、表側に戻ってまだ時間があったので、開く前のスークに行ってみた。出勤の人ですでに少しにぎわいの兆しを見せていた。 | |||||
| 5月3日 地下宮殿 | |||||
| 朝食後、歩いて地下宮殿に向かう。入り口と出口が別になっている。出入りの便のためだろう。どちらもこことは気づきにくいくらい小さな出入り口だ。しかし、中は広い。今は下の方にわずかに水がたまっているだけで、鯉などの魚が放流されている。昔、貯水槽だったころは魚が安全のバロメータになっていた。今は観光用だ。通路は観光用に作られたもの。支柱の土台や支柱そのものがローマ時代の遺跡を使っている。なかにはメドーサが、それも、逆さだったり、横向きで置かれていたりする。魔除けのつもりだろうか・・・。 地下宮殿を後に、少し市内からはずれたレストランで昼食をとる。 5月3日 帰路 |
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| アタチュルク空港から帰国の途につく。 |
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